懐古主義
中学時代

翻訳会社ソリュテックの田吹です。

このページは懐古モードに入り、中学時代を振り返りながら書いているページです。


夢を語ろうのページでも触れたが、僕の中学時代、BCLブームというのがあって、短波放送で海外の放送を聴く、いわゆるラジオ少年がいっぱいいた。もっとも、いっぱいいたと言っても、20人に1人程度の割合だが。

インターネットも無くバイリンガルの番組も無かった時代、海外の放送を聴くというのは、なかなか時代の先端を行っていた訳だ。自ずと異文化に対する興味も強くなる。それで、小林達也(コバタツ)先生のベストヒットUSAとか洋楽番組は必ず見ていた。だから今でも洋楽にはメチャ強い。

BCLをやるには、当然、短波が聴けるラジオが必要なのだが、当時、ソニーやナショナルなどから、BCL向けの短波ラジオが出てた。ソニーだったらスカイセンサー、ナショナルだったらクーガーというブランドのものが主流だった。僕は本格派を目指し、貧乏な家庭であったにも関わらず、親に一生のお願いをして本格的な受信機である TRIO の R−300 を手に入れた。この R−300 であるが、その前身は TRIO の手作り受信機でマニアに人気のあった ケンクラフト QR―666 である。 もともと、このケンクラフト QR―666 が欲しかったのだが、これはキットであり、中学生の自分が挑戦するにはリスクが高すぎて躊躇していた所に、完成品で、しかも、見た目にゴージャスな R−300 が発売となり飛びついたのだ。

R−300は、とにかく、ダイヤルにフライホイールが組み込まれており、回した時のフィーリングが良かった。丁度、高級オーディオ用のFMレシーバと同じような感触で、端から端までピューンと移動できた。周波数安定度は少し悪かったが、実用上十分だった。

さて、だんだん深みに嵌っていった私は、アマチュア無線の免許を取る。そして、TS―520Vという無線機へで電波を発射するようになった。そして、猛トレーニングで、電信も英文と和文の両方が打てるようになっていった。もう時効だとうから白状するのだが、ちょっとばかし違法行為を行っていた。当時、電信で電波を出せるのは電信級という電話級より1つ上の資格だったのだが、電話級の資格で電信をやっていたのだ。

(参考)当時、アマチュア無線の免許は、下から電話級、電信級、第二級、第一級

でも、そのおかげで腕前は上達し、その後、高専(工業高等専門学校)に進んで第二級そして第一級アマチュア無線技士の免許を取ることになった。電信級は受験せず、いきなり第二級に飛び級した。


2006/08/04 追記

クラス会のお知らせが来ました。中学を卒業してから20数年。。。ってことなんだけど、もう、そんなに経つのかなあという感じです。

確かに中学を卒業してから、高専に進み、会社に入り荒波に揉まれ、挙句の果てには独立し、平成の大不況でしなくてもいい苦労を山ほどし。。。と、なんだかんだ色々あった訳ですが、でも、マインドって中学時代のままのような気がする。ノウテンキなのかなあ。。。

ま、皆にあうのを楽しみに(怖い所もあるけどね)してます。


(続きはまた)


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